愛と哀しみの傑作(マスターピース)「エフゲニー・オネーゲン」

ピョートル・チャイコフスキー

「エフゲニー・オネーゲン」

 「白鳥の湖」、「眠れる森の美女」、「くるみ割り人形」など、バレエ音楽で名高いチャイコフスキーは、オペラにおいてもロシアを代表する作曲家です。オペラ『エフゲニー・オネーギン』は文豪プーシキン*の小説を原作とし、中でも第1幕の「手紙の場」は屈指の傑作です。

 田舎貴族の娘タチヤーナは、都会から来た青年オネーギンに恋します。はしたないと知りながら手紙を書きますが、オネーギンに冷たく拒否されます。数年後、美しい公爵夫人となったタチヤーナは、再会したオネーギンから求愛されますが、夫への貞操を選ぶのです。

 1877年春、『エフゲニー・オネーギン』の作曲を始めた頃、チャイコフスキーに一通の手紙が届きます。モスクワ音楽院の元生徒アントニーナ・ミリューコヴァ嬢からのもので、熱烈な愛の告白でした。元来、女性に興味があるとはいい難いチャイコフスキーですが、『エフゲニー・オネーギン』に没頭するあまり、アントニーナ嬢にタチヤーナを重ねあわせ、オネーギンのように冷たい態度はとるまいと、彼女の家を訪ねます。「あなたを愛してはいないが、感謝を忘れない忠実な友人となる」と最初の手紙から3か月にも満たない7月に結婚します。同性愛者であることを隠すためだったともいわれています。

 そんな結婚が上手くいくはずはなく、9月にはモスクワ川に浸かって肺炎にかかり死のうと試みますが失敗。弟や友人に離婚の手続きを任せ、翌月サンクトペテルブルクへ逃げ出します。約2か月半の結婚生活でした。

 チャイコフスキーは海外を点々とし、翌1878年2月に『エフゲニー・オネーギン』を完成させます。チャイコフスキーと同じ時代を生きる生身の人間を描く傑作オペラの誕生です。

 チャイコフスキーは、アントニーナと正式には生涯離婚できませんでした。アントニーナはチャイコフスキーの死後20年以上もの間精神病院で過ごし、1917年一人寂しくこの世を去ります。告白の手紙で結婚を手に入れたもう一人のタチヤーナも幸せにはなれなかったのです。


ピョートル・チャイコフスキー Pyotr Tchaikovsky(1840~93)

ロシアの作曲家。法務省に勤務の後、ロシア初の音楽学校(後のサンクトペテルブルク音楽院)に入学。卒業後、新たに設立されたモスクワ音楽院の教師となる。代表作は「ピアノ協奏曲第1番」「交響曲第6番 悲愴」など。


*アレクサンドル・プーシキン Alexander Pushkin(1799~1837):ロシアの詩人、作家。代表作は戯曲「ボリス・ゴドゥノフ」、小説「スペードの女王」など。


イラスト:遠藤裕喜奈

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