クレメンス・ハーゲンに聞く 音楽堂ニューイヤー・コンサートの魅力

 クレメンス・ハーゲンは、今年で結成35周年を迎えたハーゲン四重奏団のチェリストとしてだけでなく、室内楽、ソリスト、教育の分野でも精力的に活動してきた。ドイツを拠点とするピアニストの河村尚子とは、2013年に日本で初共演のデュオ・リサイタルを行った。

「もし機会があったら、なにがあってもクレメンス・ハーゲンとの共演を逃してはいけない」と、彼女は周囲からも言われていたのだという。翌年5月にはドイツで、同じラフマニノフのソナタを演奏し、その成果をライヴ・レコーディングにまとめている。

クレメンス・ハーゲンに話を聞いたのは、ハーゲン・クァルテットで来日し、フーガを主題として、バッハ、ベートーヴェン、ショスタコーヴィチの名作を辿るコンサートを数時間後に控えた、2016年9月14日の午後。いつにも増して、終始にこやかに語るクレメンス・ハーゲンは、ますますの期待と余裕をもって、河村尚子との再会を心待ちにしているようだった。

(聞き手・文 青澤隆明/通訳 蔵原順子)

--------------------------------------------------------------------------------

―神奈川県立音楽堂のステージは、2017年の新春で3度目になりますね。25年前にハーゲン・クァルテットで、その2年後の1993年にはギドン・クレーメルの音楽祭の演奏会でも登場されています。それから少し歳月があいて、音楽堂で久しぶりに演奏されるわけですね。

「とても美しいホールですね。よく覚えていますよ。音響が素晴らしいだけではなく、雰囲気もとても良いホールです」。

―河村尚子さんと初共演されたとき、それからライヴ・レコーディングをなさったときのことをお聞かせいただけますか。

「初共演の相手とは、最初のリハーサルからこれはお互いにうまく行くな、あるいはこれはちょっと問題があるなと、30分もあれば感じるものです。河村さんの場合は、出会ってすぐに、これは素晴らしい演奏会になるとわかりました。たいへん幸せな出会いだったと思います。音楽的なアイディアに関しても、どういった感じでコミュニケーションしていくかということに関しても、とくに言葉を交わすこともなく、感覚でわかりあえる相手でした。いきいきとした共演になったと思いますし、続くラフマニノフの録音にも、とても満足しています」。

―ラフマニノフのデュオ・ソナタは、おふたりがこれまでの演奏会でも集中して取り組まれてきた作品です。

「ええ。とくにラフマニノフの場合、非常にエモーショナルな作品ですから、できるだけ自由に構築することが演奏する側に求められます。とくに時間の捉えかた、タイミングなどに関しては裁量の余地が多くありますが、河村さんと私は同じ感覚をもっていて、すぐにイメージを共有できました。そこがぴったり一致していましたから、よい演奏になったのだと思いますよ」。

―どのデュオでも大切ですが、とくにラフマニノフでのピアニストへの要求はとても大きなものがありますね。

「ラフマニノフ自身がピアニストでしたから、ピアノに何を要求してよいかをはっきりわかっていました。これだけの音をピアノに託していいのだと熟知している。この作品はピアノがリードする要素が大きいので、誰と演奏するかがほんとうに重要なのです」。

―でありながら、チェリストに要求されるものも、高度に構築的で、なおかつ自然で、感情も強いという、あらゆるものが求められると思うのですが…。

「おっしゃるようにチェリストの難度もたいへん高いのですが、またピアノとはまた違うものを求められます。ピアノのように非常に多声的に演奏することはできないけれど、頭のなかでは多声的に考えなければいけない。そして、チェロはさらによく歌う楽器であります。それぞれの役割をもち、最終的には両者一体となって美しい結果をもたらすことを目指していくわけです」。

―ピアニストと多く共演されていますが、河村尚子さんのどこに強く惹かれますか。

「河村さんは、響きに対するイメージがほんとうに素晴らしいと思います。もしかするとチェリストの方とご結婚されていることとも関係しているのかも知れませんが、とくにピアノとチェロを融合させる力が素晴らしい。響きをひとつに調和、融合することができるのです。それはとりもなおさず、相手のことをよく聴いているということでもあります。場合によっては、チェロのほうに寄り添う、譲るとまでは言わないけれど合わせる姿勢をもっていらっしゃる。それがよい結果を生むのだと思います。室内楽がお好きで、室内楽奏者として心地よく演奏されますが、場合によってはそのなかでもソリスティックな演奏をすることができる。それが活き活きとした豊かさをもたらしてくれる。そういう多面性が素晴らしいと思います」。

―河村さんはハーゲンさんのお弟子さんとご夫婦になられましたが、若い世代との共演ということでご自身とくに思うことはありますか。演奏の現場では対等なのでしょうけれど。

「いっしょに音楽を奏でている以上、とくに世代の違いというものを感じることはありません。大切なのはやはり、共通の理念をもって、同じ目的に向かう姿勢だと思います。ですから、音楽的な意味において世代の違いを感じることはないのですが、日常的な場面で、人生観や生活のなかにおいて、やはり若い世代だなあと感じることはありますね(笑い)」。

―ハーゲンさんご自身は、パウル・グルダ、シュテファン・ヴラダーといった同世代との共演だけでなく、上の世代のピアニストとの共演からも多くを学ばれてこられたでしょう?

「私も若かった頃は、年配のアーティストと共演することをとても大事に思っていました。ピアニストでいえば、内田光子、オレグ・マイセンベルク、アンドラーシュ・シフ、クリスチャン・ツィメルマンといった方々と共演してきたのですが、いずれも信じられないような体験でした。基本的につねに学ぶことばかりなのですが、成熟した音楽家と共演すると、音楽との関わりかたが違うということをほんとうに肌で感じますね。作品に注ぐまなざしが違うのです。いろいろな世代がまじりあったかたちでの共演は、若い世代のあらゆる音楽家に推奨したいし、絶対的に必要な経験だと思います。新しい出会いはなにかをもたらすきっかけになると思いますし。もちろん、クァルテットのなかで同じメンバーで突き詰め、磨きをかけていくというのは、それはそれで夢のような状況です。私にはその両方が楽しくてなりません」。

―日本では“3度目の正直”とも言いますが、河村さんとの3度目の共演に期待されるのはどんなところでしょう?

「次の共演のときには、新しい出会いへの発展が必ずあるべきだし、そうでなければいけないと思います。録音してからもう一年以上が経っていますが、同じラフマニノフのソナタでも、来年の1月の演奏はまた違うものになるはずです。お互いに同じ方向を向いているということがよくわかったうえで、音楽に対してオープンな姿勢をつねにもち続けることが大切です。最初の出会いのような好奇心や緊張感とはまた違う期待があり、私自身とても楽しみにしています」。

―今回はベートーヴェンのソナタ第2番が組み合わせられています。同じト短調で、調性の繋がりもいいですね。

「おっしゃるとおりです。べートーヴェンの2番のソナタは素晴らしい作品で、私はとても好きなのです。比較的初期の作品でありながら、20年くらい先を行っていた作品だと思います。ヴァイオリン・ソナタと比較するとよくわかるのですが、このト短調のソナタは非常に成熟したベートーヴェンを感じさせます。晩年の作品ではないけれど、もっと後年に書いたのではないかと思える成熟度をみせている作品で、時代を先取りしています。また、シューマンは私も彼女もそれぞれに好きな作曲家です。とくに『5つの民族風の小品集』はあまり演奏される機会がないので、その意味でもよい機会だと思います。すごく難しい作品なのです(笑い)」。

―さて、2017年の音楽堂は、おふたりのシューマンから始まります。

「来年のオープニングを飾るコンサートということですから、そこに出演できるのをたいへんうれしく思います。河村尚子さんとの共演は毎回楽しみですし、彼女のことは日本のみなさんもよくご存じでしょうから、なおさらですよ。素晴らしいホールでの演奏、そしていつもながら、非常に注意深く、知識の豊かな日本のお客様の前で演奏できることをとても楽しみにしています」。

kanagawa ARTS PRESS

神奈川芸術プレス WEB版