知れば、知るほど、好きになる 「迫りと廻り舞台」、「ピアノ」

演劇の小箱

迫りと廻り舞台

 「舞台機構」は、緞帳や反響板、吊物などのバトン、迫りや廻り舞台、それらを操作する綱元や操作盤などを指す総称です。まさに舞台を舞台として成り立たせる基本機能。中でも「迫り」は、映画などの映像処理とは違い、生の舞台ならではのリアルな大仕掛けで迫力満点です。

 その歴史は古く、古代ローマのコロッセオには剣闘士や猛獣を地下から登場させるリフト=迫りがあったとされます。その後、帝国内でキリスト教が力を持つようになると娯楽は人を堕落させるとして、劇場は禁止されます。5世紀から約1000年間、ヨーロッパに劇場は存在しなかった、といわれています。

 1753年、ヨーロッパから遠く離れた東洋の島国日本でも独自の迫りが生まれます。狂言作者*・並木正三が大道具を昇降する「大迫り」と役者を昇降させる「小迫り」を考案したのです。

 そして1758年、正三の考案による世界に先駆けた「廻り舞台」が大坂道頓堀の角座に登場します。これにより素早い舞台転換が可能となり、さらに廻り舞台に迫りを組み合わせることで、より複雑な舞台演出を実現しました。明治以降、世界中の劇場で普及していきます。


*狂言作者:歌舞伎の脚本作家。歌舞伎の初期には役者が作者も兼ねていたが、次第に芝居が複雑化し専門の作家が生まれた。


Photo

歌舞伎 「大日本六十余州 周防」より   所蔵:立命館ARC. arcUP2141


楽器ミュージアム

ピアノ

 今日、最もポピュラーな楽器といえばピアノ。その誕生は1700年頃にまで遡ります。

 イタリアのメディチ家に仕えた楽器製作者バルトロメオ・クリストフォリは、鍵盤楽器のチェンバロをもとに、鍵盤を押すと楽器内部のハンマーが弦を叩いて音を出す「グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ(弱い音)・エ・フォルテ(強い音)」を考案します。鍵盤へのタッチの強さで音の強弱が付けられる、チェンバロにはないその画期的な発音機構は、ヨーロッパ各地に広まりました。

 後年、ピアノ製作者たちはモーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、リストなど名だたる音楽家に自作を贈り、多くの貴重なアドバイスを得てピアノの能力を上げていきました。

 クリストフォリの楽器では54ほどだった鍵盤の数は、19世紀後半にはオーケストラの音域をカバーする88にまで増えていきます。

 また、近代市民社会を背景に演奏の場が貴族のサロンから市民が集う大ホールに変わると、より大きな響きが出るように、弦は真鍮から鋼鉄に、弦を張るフレームは木製から鋼鉄に変わり、現代のコンサート・グランドピアノの総重量は500キロにも及ぶようになりました。

 こうした超重量級の楽器への進化と同時に、ピアノは逆の方向にも進みました。産業革命のもと、豊かな生活を得た市民たちは、その象徴としてピアノを自宅に置くようになり、19世紀のアメリカでは、客間向きのコンパクトなアップライト(縦型)ピアノが製造されるようになるのです。日本でも高度成長時代、多くの家庭がアップライトピアノを買い求めました。近年、中国でピアノが急増したとのこと。楽器は社会を映す鏡でもあるようです。

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