愛と哀しみの傑作(マスターピース)「オペラ座の怪人」
ガストン・ルルー
「オペラ座の怪人」
ガストン・ルルーは、1868年、パリの裕福な実業家の長男として生まれました。20歳の時に両親を亡くし、100万フランの遺産を相続しますが、高級シャンパンとギャンブルで、わずか一年足らずで使い果たしたといわれています。
1889年、法科大学を卒業。弁護士資格を得て数年間活動し、その後新聞に裁判記事を書くようになります。その法的知識と天賦の文才でただの裁判記事を大衆受けする娯楽読み物に変え人気を博します。書類を偽造して人類学者と称し、刑務所の囚人に独占インタビューするなど、小説顔負けの大胆な取材を行っています。
その後は海外特派員として、ロシア、スペイン、中東などを10年以上に渡り飛び回り、日露戦争やロシア革命などを取材します。モロッコでは現地人に扮しての取材中に変装がばれて、間一髪で命拾いしたこともあったそうです。
1902年、ルルーはスイスのホテルで一人の女性、ジャンヌ・カイヤットと出会います。妻帯者であった彼は彼女と同棲を始めますが、妻は離婚には応じませんでした。
1907年、ルルーは小説執筆に専念することを決心し、新聞社を退社。その翌年に密室トリック推理小説の金字塔「黄色い部屋の謎」を出版します。
1910年には怪奇ロマンの傑作「オペラ座の怪人」を刊行。悲しい運命により誰からも愛されたことのない天才音楽家・オペラ座の怪人エリックは、愛する歌姫クリスティーヌ・ダーエ嬢に切々と訴えます。「もううんざりだ。いかさま師のように二重の箱の底で暮らすのはもう嫌なんだ。私だって皆と同じに普通のドアや窓がある静かなアパルトマンに暮らしたい。貞淑な妻と一緒に、私は人並みに結婚したいんだ!」。
1917年、本妻の死により障害のなくなったルルーはジャンヌ・カヤットとついに正式に結婚するのです。
ガストン・ルルー Gaston Leroux(1868~1927)
フランスの小説家、ジャーナリスト。豊富な取材経験を生かし、推理小説や怪奇・スリラー小説を発表。多くの作品がドラマ化、映画化されている。中でも「オペラ座の怪人」の人気は高く、1986年アンドリュー・ロイド=ウェバー作曲の舞台ミュージカルは空前のヒット作となった。KAAT神奈川芸術劇場では劇団四季により上演中。
イラスト:遠藤裕喜奈
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