鈴木優人 (指揮者・鍵盤奏者・作曲家)

モンテヴェルディの書いた音符に立脚しながらも、

「第二作法」のスピリットに従って、

このオペラが持つ霊感を高める方向でチャレンジしていきたい。

歌劇「ポッペアの戴冠」

神奈川県立音楽堂


 指揮者であり鍵盤奏者、作曲を手がけ、音楽祭のプロデューサーとしても辣腕をふるう。クラシック音楽界一多忙なアーティスト鈴木優人が、11月、世界最高峰の古楽団体バッハ・コレギウム・ジャパン(以下、BCJ)とバロック・オペラの金字塔「ポッペアの戴冠」に取り組みます。  

 

モンテヴェルディ生誕450年

   

―J・S・バッハより1世紀ほど前に生まれたモンテヴェルディ(1567~1643)は、パレストリーナらによるルネサンス音楽とバロック音楽の二つの時代の境目に位置する作曲家です。

 モンテヴェルディの大きな功績は、16世紀末に誕生したオペラを大きく築き上げたこと、そして同時にバロック音楽の基礎となる作曲技法を創り出したことが挙げられます。つまりパレストリーナ的な厳密な対位法の世界から、より少ない人数で歌うモノディの世界へと変革が起こったのです。言葉と音楽が密接に絡み合い、ドラマティックな表現が可能になったこの作曲技法を、彼は「第二作法」と呼んでいます。そこでは「通奏低音」という低音部の旋律のみ記された楽譜からチェンバロ奏者らが和音を付けて自由に歌手を伴奏するスタイルが活躍しはじめます。「ポッペアの戴冠」もまさにこのスタイルの音楽です。

 BCJはバッハの作品を理想的に上演することを目的としていますが、バッハの作曲技法は当然この大きな改革に根ざしていますので、僕らがモンテヴェルディを演奏するのは至極当然のことなんです。しかも今年は生誕450年ですから、この原点に立ち返りたいという思いがひときわBCJの中に漲っています。

人智を超えて操られる人間たち

   

―「ポッペア」は、それまでギリシャ神話を題材にしていたオペラに、人間の物語、歴史物を初めて取り入れた画期的な作品です。ローマ皇帝ネローネ(ネロ)の寵愛を受けた絶世の美女ポッペアが、自分の夫である将軍や皇后、皇帝の幼少時からの師である哲学者セネカを次々と陥れ皇妃へと登りつめるという強烈な物語ですね。

 人間のむき出しの本性を目の当たりにするというのが、「ポッペア」の魅力の一つだと思いますが、このオペラにはフォルトゥナ(運命)、ヴィルトゥ(美徳)、そしてアモーレ(愛)といった天上の神々も出てくるんですね。

 このアモーレのせいで人々はめちゃくちゃになる。実にとんでもないやつです。天上にいる能天気なアモーレと、不運の渦に引きずり降ろされていくセネカや皇后、その天と地の間で人生を謳歌するポッペアとネローネ。そういう上下の力の関係からこのオペラは構成されています。ただの人間関係だけでは、ここまでのドラマトゥルギーは生まれなかった。それがこのオペラの魅力だと思います。

―3人の神はプロローグ(前口上)に登場しますね。

 プロローグは当時の劇作品には欠かせなかったものでした。ここで観客は、夢か現か異次元へと誘われ、そこから一気に物語が展開していきます。「ポッペア」は(休憩を含めて)3時間50分ほどの長い作品ですけれども、あっという間に終わるように感じられると思います。

―「ポッペア」の音楽表現で興味深いところとは?

 言葉を音楽で鮮やかに描写するところですね。「天」と言うところでは高い音が、「死」の時には最低音が使われたりとか。あるいはセネカが死ぬ場面で、友人たちが三重唱で「セネカよ、死なないでください」と半音階でどんどん昇っていくんです。螺旋を描くように。それが非常に不気味で、それを黙って聞いているセネカは自分がもう死ぬと決意してしまいます。その対照がとても鮮やかです。また、登場人物の性格に応じて言葉と音楽が完全に一致しているというところも、まさに「第二作法」の面目躍如です。


登場人物たちを描き出す声


―女性の声域で男役を歌うなど、登場人物と声種との関係も19世紀のオペラとは異なっていますね。

 モンテヴェルディは登場人物の描き分けがすごく上手なんです。セネカは哲学者として知性を表わす低い声で、皇帝ネローネはソプラノ。当時はカストラートであったわけですが。ポッペアとネローネが同じ高さの声で歌うところが倒錯しているというか、エロチックだと思います。まさに楽譜の上で絡み合うわけです。

 今回の公演では、ものすごい方々に出演していただけることになりました。

 ネローネはレイチェル・ニコルズさん、ポッペアは森麻季さんですが、同じソプラノでも声の質は全く異なります。彼女たちの声を聴くだけでも見事にキャラクターが見えてくるはずです。ポッペアとネローネには特に美しいメロディが割り当てられています。

 また、小林沙羅さんが演じるアモーレはとてもいたずらっぽくてコケットで、彼女以上の適任はいないと思っています。侍女のダミジェッラ役の松井亜希さん、ドゥルジッラ役の森谷真理さんのお二人も同様で、技巧的な動きのある音楽をこなしてくれるでしょう。

 将軍オットーネは妻のポッペアに見捨てられても「僕は諦められない」と歌う情けない役ですが、その感じがカウンターテナーであることによって非常によく出ていると思います。この役には世界的に活躍するクリント・ファン・デア・リンデさんに出ていただきます。じたばたする坊やという感じのオットーネは、大柄なクリントさんによく似合っています。

 乳母役の藤木大地さんには母性を最大限に発揮してもらいたいなと(笑)。素晴らしい子守歌があるんですよ。藤木さんの艶やかでかつ魔力のある声がぴったりだと思います。

 皇后オッターヴィアの波多野睦美さんは、ギリシャ彫像のように悲劇の皇后をつとめてくれるでしょう。

―第1幕では気高かった皇后が復讐で豹変しますが、その変化はどのように表現されていますか。

 オッターヴィアの通奏低音と歌の関係は非常に尊厳があるように感じられます。最初は非常にゆったりと威厳なる感じから興奮してくると乳母がなだめたりして、そういうのが、それはもう見事に表されています。通奏低音はベースラインだけが書かれており、和声は即興で演奏するためとても自由であるはずなんですけど、なぜか不思議と拘束力を持っていて、切迫感のあるテンポやリズムになって言葉でどんどん畳み掛けていく。いろんな技を使ってとても生き生きと演劇に近いほどの表現になっていく。これはもうモンテヴェルディの魔術です。


作品の持つ霊感を高めていく


―楽譜は、演奏者の判断に任されているところが結構あるそうですね。

 それこそ歌の合間にどういう器楽曲を挿入するかも含めて、けっこう自由があります。そのためさまざまな楽譜の版が作られています。今回はアラン・カーティス版という最もシンプルな素晴らしい楽譜を使用します。

 今回は、もちろんモンテヴェルディの書いた音符に立脚しながら、しかし彼の作り出した新しい音楽である「第二作法」のスピリットに従って、このオペラの持つ霊感を高める方向で色々チャレンジをしていきたいと思っています。そういう意味では今回のためだけのオリジナル版が出来上がると言えるでしょう。

―楽器編成はどのようになりますか?

 横浜という場所には、本当にさまざまなエンターテインメントの場所がある。私も県民ホールでオルガン弾いたり、KAATではアンサンブル・ジェネシスで演劇やったりとかいろんなことをやらせてもらってきて、そのなかで満を持してというか、バロック・オペラをもっと聴きましょうという意味も込めて「ポッペアの戴冠」を製作します。弦楽のほか、通奏低音の弦楽器は3人です。テオルボを二人にするか、リュートかギターにするのかなどまだ決めていないのですが。チェンバロは私も弾くのでふたり。それからヴィオラ・ダ・ガンバにヴィオローネ。リコーダーとオーボエの古い楽器ショームも使ってみようかと思っています。

 リコーダーは鬼才アンドレアス・ベーレンが来日してくれます。テオルボもヤーコプスの右腕である野入志津子さんがアムステルダムから来てくれるなど、オーケストラもとても豪華なメンバーが揃うことになりました。

―読者の皆さんにメッセージを。

 田尾下哲さんにも舞台構成で参加していただき、KAATや県民ホールの大きなオペラにも引けを取らない物凄いエンターテインメントになりますので、ぜひ皆さん来て、思いっきり楽しんで、盛大にブラボーを言ってください。

取材・文:川西真理

撮影:末武和人


my hall myself

私にとっての神奈川県立音楽堂

 県立音楽堂は、小学生の頃からBCJ公演を聴いたりと思い出がたくさんある場所です。この4月、神奈川フィルとチェンバロ協奏曲を弾き振りしましたが、響きを確認しようとリハーサル中、客席の後ろに行ったら、チェンバロの響板がちゃんと見えるんですよ。響板が見えるってことはここまで音が届いているということなので、これはいい場所だと思いました。リュートなど撥弦楽器の音響もとても合っているんじゃないかな。オーケストラの音が、目の前で弾いているようにしっかり聴こえるホールだと思います。


鈴木優人 Masato Suzuki

1981 年オランダ生まれ。東京藝術大学及び同大学院、オランダ・ハーグ王立音楽院修了。第18回ホテルオークラ音楽賞受賞。鍵盤奏者(チェンバロ、オルガン、ピアノ)としてバッハ・コレギウム・ジャパンをはじめとする国内外の公演に多数出演。NHKFM「古楽の楽しみ」レギュラー出演。調布国際音楽祭エグゼクティブ・プロデューサー、アンサンブル・ジェネシス音楽監督、舞台演出、そして作曲とその活動に垣根はない。www.suzukimasato.com/


モンテヴェルディ生誕450年記念特別公演

歌劇「ポッペアの戴冠」(演奏会形式・日本語字幕付)

2017年11月25日(土) 16:00 神奈川県立音楽堂

出演:鈴木優人(指揮) バッハ・コレギウム・ジャパン

   森 麻季(ポッペア) レイチェル・ニコルズ(ネローネ) クリント・ファン・デア・リンデ(オットーネ) 波多野睦美(オッターヴィア) 森谷真理(フォルトゥナ/ドゥルジッラ) 澤江衣里(ヴィルトゥ) 小林沙羅(アモーレ) 藤木大地(アルナルタ/乳母) 櫻田 亮(ルカーノ) ディングル・ヤンデル(セネカ) 加耒 徹(メルクーリオ) 松井亜希(ダミジェッラ) 清水 梢(パッラーデ) 谷口洋介(兵士Ⅱ)

舞台構成:田尾下 哲

全席指定 一般9000円 学生(24歳以下)5000円

※シルバー(65歳以上)8500円は取扱い枚数を終了しました。 

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