愛と哀しみの傑作(マスターピース)「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

リヒャルト・ワーグナー

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

 1861年、ワーグナーはチューリヒ亡命時代*(1849〜58)のパトロン、豪商オットー・ヴェーゼンドンクに招待され、ヴェニスを訪れます。ワーグナーはオットーの妻マティルデと亡命時代に不倫関係にあり、離別の後も彼女への想いを燻らせていました。が、夫妻の互いへの揺るぎない愛を感じ、その想いをついに諦めます。この時、ワーグナーは中断していた「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の作曲を決心します。ワーグナーは自身とマティルデを作中のザックスとエファに重ね合わせたといわれます。ザックスは想いを断ち切り、エファと若き騎士ヴァルターとの愛を祝福するのです。

 その後、ワーグナーは友人フランツ・リストの娘コジマと運命的な再会をします。彼女は指揮者のハンス・フォン・ビューローの妻となっていましたが、1863年の秋、ベルリンでワーグナーとコジマは二人だけで馬車で遠乗りし、その時、互いの想いを確かめたといいます。それから2年後、ビューロー夫人であるコジマはワーグナーの子イゾルデを出産するのです。

 1867年2月、コジマとの間に生まれた第二子はエファと名付けられました。「マイスタージンガー」は、同年10月に完成します。革新的な歌手ヴァルターが因習に固まった人々に批判されるも、最後には栄光を掴む、という当時のワーグナー自身を投影したストーリーです。ワーグナーはヴァルターの歌で作品を締めくくろうとしていましたが、コジマはワーグナーを説得して「ザックスの最終演説」で終わらせます。ザックスは歌います「神聖ローマ帝国は靄と消えようとも、聖なるドイツ芸術は我らの手に残るだろう」と。さすが未来のバイロイト音楽祭*の女主人です。完成した作曲スケッチには、「とくにコジマのために」と記されています。「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は二人の女性の影響の元に生まれたのです。なお、ワーグナーとコジマが正式に結婚したのは、完成から3年後の1870年の事でした。


リヒャルト・ワーグナー Richard Wagner(1813〜83)

19世紀のドイツ・ロマン派歌劇の頂点をなす作曲家。ほとんどの自作オペラで台本を単独執筆し、音楽、文学、演劇、美術を統一した総合芸術に完成。これらの作品は、楽劇とも呼ばれる。


*ワーグナーは、1849年ドレスデンで起きたドイツ3月革命に参加し指名手配された。

*バイロイト音楽祭:ワーグナーのオペラ・楽劇を上演するために建てられた祝祭劇場で今日まで毎夏開催。夫の死後コジマがすべてを取り仕切った。


イラスト:遠藤裕喜奈

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