愛と哀しみの傑作(マスターピース)「アラバマ・ソング」

クルト・ヴァイル

「アラバマ・ソング」

 1924年の夏、新進気鋭の作曲家クルト・ヴァイルは、次回作のためにとある劇作家を訪ねます。そこで女優ロッテ・レーニャと出会うのです。

 二人の境遇は全く違いました。ヴァイルは裕福なユダヤ人家庭に生まれ、ベルリン音楽学校やプロイセン芸術院で学んだエリート。一方、2歳年上のロッテはウィーンの貧しい労働者の娘で、幼少期から父親の虐待をうけ、11歳の頃には街角に立っていたといいます。しかし、出会いの年の暮れには二人は共に暮らし始めます。

 1926年、彼らは正式に結婚します。それは奇妙な夫婦生活でした。ヴァイルは作曲に取りかかると仕事部屋に引きこもり、妻にはまるで興味を示しません。ロッテは尋ねます「クルト、私を愛していないの?」。彼は答えます「音楽の次に大切なのは君だよ」と。そんな心の隙間を埋めるためなのか、彼女には常に複数の恋人がいました。そのことをヴァイルはすべて承知していたのです。

 結婚の翌年、ヴァイルはドイツ室内楽協会主催の音楽祭に新作を委嘱されます。彼は劇作家ベルトルト・ブレヒトの詩集「家庭用説教集」に目をつけます。そして生まれたのがソングシュピール*「マハゴニー」*です。1927年7月17日、ロッテが歌ったのがあの名曲「アラバマ・ソング」。ヴァイルが彼女を念頭にして書いた曲です。この夜に第三帝国前夜のドイツを彩る「歌姫ロッテ・レーニャ」が生まれたのでした。

 金が全ての背徳の街マハゴニー。劇場は歓声と罵声で二分されます。そんな混乱の中、幕切れで他の出演者が「戦争反対」、「専制政治打倒」といったプラカードを掲げる中、ロッテ・レーニャは何喰わぬ顔で「ヴァイルに賛成」と書いたプラカードを掲げたのでした。


クルト・ヴァイル Kurt Weill(1900〜50)

ドイツ生まれのユダヤ系作曲家。コンサート作品の他に、演劇やオペラ、ミュージカルへの作曲で知られる。代表作はブレヒトと組んだオペラ「三文オペラ」、「マハゴニー市の興亡」、バレエ「七つの大罪」など。


*ソングシュピール:オペラ風のアリアでなく、アメリカの影響を受けた「ソング」を中心とした歌芝居。

*マハゴニー:この作品を元に2年後の1930年にオペラ「マハゴニー市の興亡」が生まれる。


イラスト:遠藤裕喜奈

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