谷 賢一(劇作家・演出家・翻訳家)

大いなる謎・ブレヒト劇を介し
演劇と観客の新しい関わり方を模索する

「三文オペラ」

KAAT神奈川芸術劇場


 劇作家、演出家、翻訳家として自作はもちろん、サイズ感もさまざまな演劇の現場で活躍するクリエイター谷賢一。KAAT神奈川芸術劇場には既に『ペール・ギュント』など、芸術監督・白井晃とのタッグで貢献しているが、2018年1月、KAATプロデュース作での演出家デビューを果たす。ホールの大空間で谷が挑むのは、現代演劇の巨人ベルトルト・ブレヒト作『三文オペラ』だ。

 社会システムの歪みと暗部や、人間の深層にある矛盾と悪を暴き、シニカルかつユーモアたっぷりに告発するブレヒト劇を介し、「演劇でしかできない表現を観客と共有し、突き詰めたい」と考える白井芸術監督のバトンを受けた若き野心家は、どんなプランを温めているのか。 

 

 僕のKAATデビューは『LOST MEMORY THEATRE』(14年)で、それが白井晃さんとの初仕事でもありました。三宅純さんの楽曲を起点とした舞台ということで、白井さんの中にあるイメージを言語化する、作品の土台づくりを作家としてご一緒させていただいた。劇場内の小部屋に二人で缶詰になり、時には半日以上共に過ごす。演劇人とは思えないジェントルな物腰に感銘を受けつつ、どこか”クラスが違う“感のある白井さんに対し「カレーみたいな庶民の食べ物も食べるんだ」というような、妄想を解消する良い機会でもありました(笑)。

 長く一緒にいれば当然、『LOST~』以外の話題にも及ぶことになり、アングラや、小劇場の各世代を築いた代表的な演劇人をどう思うか、今の日本や海外各国の演劇シーンをどう捉えているか、最近観て面白かった作品は何か、互いの演劇観など、演劇だけでなく時には個人的なことまで、広範なお喋りは創作とは別の楽しみになっていました。

 その中で、僕の世代を含めた「最近の若手演劇人は大劇場(での創作)に関心が薄いのでは?」という白井さんの指摘がありまして。確かに周囲を見回してみると、自分が影響を受けたような40代前後の劇作・演出家で、中・大劇場をベースに活躍する方の数は限られている。さらに世代が下がると、その傾向は一層顕著になっていく、と改めて認識することになったのですが、自分は真逆の志向の持ち主。以前から、大空間を使いこなせる演出家になりたいと思っていましたし、アート系の尖った作品ではなく、演劇ファン以外にもリーチできる間口の広さを持った演劇作品が創りたいと常々思っていたんです。演劇の観客を増やしていきたいし、「わかる人にだけわかればいい」とは思いたくないので。

 そんな思いを話していたところ、白井さんは『LOST~』以降も私の公演をほぼ欠かさず観に来ては必ず感想や意見をくれ、演劇についてたくさん話をさせてもらいました。その後『ペール・ギュント』(15年)の上演台本で再びご一緒する中で、「いつかホールで」という話を何度かいただいて。最終的には、白井さんが「機が熟した」と判断してくださったのかどうかはわかりませんが、「18年1月にホールで谷の演出作を」と、企画が固まったのです。


ブレヒトという大いなる「謎」に挑む


 作品は、白井さんからさまざまな戯曲を貸していただいたり、自分でシェイクスピアを読み直して提案したりと、決まるまでにやはり紆余曲折がありました。面白いものは幾つもあったのですが、どうしても自分の中で上手く着地しなくて。 

 あれは『ペール~』の時だったか……KAATの中をウロウロしていたところ、白井さんと立ち話になり、その時偶然『三文オペラ』の話題になったんです。僕にとっても以前から興味のある作品だったので「やりたいです!」と、それまでの迷走が嘘のようにスパッと話は決まりました。

 意外かも知れませんが大学時代は演劇学というものを専攻しておりまして、こう見えて演劇史や演劇論をきっちり勉強しているんです(笑)。中でも『三文オペラ』の作者であるベルトルト・ブレヒトは、演劇を学ぶ者にとっては凄まじく大きな「謎」として立ちはだかるもの。彼の戯曲は本当に特殊だし、確立した異化効果(観客に登場人物や物語への安易な感情移入=同化を許さず、客観的かつ批判的な視点で観てもらおうという手法)や独自の演劇論など、研究すべきことは山ほどある。

 実際イギリス留学中も、ブレヒト作品は講義のテーマになることが多かったし、実演の題材として上演したりもしたので、常に興味の対象でした。しかし理屈だけ知っていても自らの手で上演しなければ、本当に「謎」を解いたことにはなりませんよね? 『三文オペラ』は比較的初期の作品で、異化効果や叙事詩的演劇など、ブレヒトが後に築き上げる演劇理論が荒削りながら力強く提示されている。いつか必ず取っ組み合いをして、謎を解き明かしたいと思っていました。

 ブレヒトの演劇理論の核は、平たく言えば「観客との関係の持ち方を、今までの演劇と変えていこう」ということです。観客との関係の持ち方は、ここ数年ずっと僕の中でもテーマでしたし、自分なりの実験を続けてもいました。ルーツにあたるブレヒト劇で、これまでの試行錯誤の成果をさらなる実践へと昇華したいと思っています。

「強い味方」と緊張感のある稽古を


 そもそも、観客との関係の持ち方を見直そうと思ったのは、演劇に対して感じていた自分なりの危機感からです。僕、うかうかしていると演劇の観客は減るばかりだと思っていて。データを見れば減少、増加の両方がありますが、現場の人間としては、かなり危ないと感じています。見回せば無料で、家から一歩も出ずにあらゆる娯楽にアクセスできる環境が整っていく中で、わざわざ家を出て移動して高い金を払って観る演劇を選び取ってもらうためには、「同じ時間と空間を共有する」「目の前で今、まさに起こっていることを目撃する」など、演劇固有の魅力にどっしり軸足を置いた作品を創り続けないと、客離れは確実に進んでいく。向こう5年とかじゃなく、30年くらいの長いスパンで考えた時に、ですが。

 白井さんも同じブレヒト原作の『マハゴニー市の興亡』(16年)の演出で、果敢に観客との境界線を侵していましたね。先にやられた悔しさと共感が同時にありました。僕もまた別の視座から、しかし同じ「観客との関係」というテーマに挑みたいと思っています。

 具体的に考えているのは「観客が演劇に荷担する瞬間」を随所に作りたいということ。劇中、乞食たちの反乱により国家権力をひっくり返す場面がありますが、格差社会とポピュリズムがこれだけ問題になっている現代社会にとても重なって見える。劇中の登場人物と共に上げるべき”声“を、お客さまも絶対にお持ちだと思うんです。なので、”乞食席“および ”みんなで歌おう三文オペラ!“(笑)と今は呼んでるんですが、演劇行動に荷担する特殊な客席を作ることで、作品を二重に異化して見せたいとさまざまな企みを施しています。

 キャストはまだ主演の松岡充さん以外発表されていませんが(取材時)、白井さんが俳優として出演してくれます。これがまた二重に面白い効果を生むはずです。今までの関係に甘えることなく、緊張感のある稽古場にしたいですね。

劇世界を彩る音楽へのこだわり


 また『三文オペラ』は、クルト・ヴァイルの楽曲による音楽劇スタイルになっていますが、今回音楽監督、訳詞にはバンド「ドレスコーズ」のリーダーである志磨遼平さんをお迎えしました。解散してしまった「毛皮のマリーズ」というバンドの頃から、もう10年近く聴き続けていて、未だに刺激をもらう稀有なバンドです。パンク、グラム、ガレージ、オルタナなどロックのあらゆるスタイルを横断しつつ、アルバムごとにまったく違った強烈にして明快なコンセプトを聴かせてくれるのが魅力。音楽への感受性が非常に豊かで、幅広いジャンルを手掛けてきている方なので、クルト・ヴァイルをどう料理していくか一緒に考えるパートナーとしては理想的でした。

 先ほどお話した“観客を巻き込む”点でも、ロックの技法は有効でしょうし、本当に音楽マニアでカメレオンのように作風を変える方なので、曲ごとに様々なアレンジを提案してくれると思います。

 そして、歌詞のセンスがとにかく卓抜している。はっぴぃえんどや忌野清志郎に連なる日本語ロックの系譜を振り返ってみても、抜きん出て言語感覚の良い方です。非常に言葉がいい。歌いやすく聴きやすい訳詞を考えた時に、僕の知る限りでは最高の人ですから、引き受けてもらえたのは本当に幸いでした。アレンジと歌詞を通じて、ヴァイルの曲にも新たな魅力を光らせてくれると信じています。

 最後に。『三文オペラ』の登場人物たちは、警視総監を除いて全員が貧乏人であり犯罪者です。底辺から社会を見上げていた人々が蜂起して、既存の社会システムを転覆させる不穏な力が、この作品の魅力の一つ。今でこそ僕、こんな立派な劇場でお仕事させていただいておりますが、つい2、3年前でも預金残高が5万円を切るような極貧の時期があったりしました(苦笑)。あの時以来、自分なりに「資本主義社会とは何か?」という疑問に向き合い、考えてきましたし、憎悪を募らせてもきました(笑)。そうした時間や思考を、この作品ならば生かせます。貧乏しといて本当によかった。本物のコミュニストだったブレヒトには及びませんし、思想の根っこも違いますが、作品を通してならブレヒトと一緒に、資本主義と格差社会に対してしっかり拳を振り上げられる。そんなことも考えています。


my theater myself
私にとってのKAAT神奈川芸術劇場

 やはり、白井さんと臨んだ”合宿“がインパクト大ですね。6時間から最長で10時間、劇場の小部屋に二人でこもってパソコンを叩いたり、余談に花を咲かせたり。その間、ベッドこそ共にしませんでしたが(笑)、演劇人の大先輩・白井晃を知り、その経験から学ぶ貴重な時間でした。一つ衝撃的だったのは、白井さんと僕が好きになる女性に”ある共通点“があったこと。初めて聞いた時には、驚いて鳥肌が立ちました。中身は内緒です(笑)。


取材・文:尾上そら 撮影:末武和人 


谷 賢一  Tani Kenichi

1982年、福島県生まれ。作家・演出家・翻訳家。日本演劇作家協会・事業委員。明治大学演劇学専攻、およびイギリスの大学で演劇学を学ぶ。2013年に『最後の精神分析』の翻訳・演出。第6回小田島雄志翻訳戯曲賞と文化庁芸術祭優秀賞を受賞。近年の代表作は、ホリプロ『わたしは真悟』(脚本)(KAAT/新国立劇場)、『ペール・ギュント』(翻訳・上演台本)(KAAT)、PARCO『マクベス』(演出補)他多数。


「三文オペラ」

2018年1月23日(火) 〜2月4日(日)  KAAT神奈川芸術劇場 〈ホール〉

作:ベルトルト・ブレヒト 音楽:クルト・ヴァイル

上演台本・演出:谷 賢一

音楽監督:志磨遼平(ドレスコーズ)

出演:松岡 充 吉本実憂 峯岸みなみ  貴城けい 村岡希美 高橋和也 白井 晃 他

全席指定 S 7800円 A 6000円 U24(24歳以下)3900円 

小学生以上高校生以下1000円(当日指定席引換・要学生証) 

シルバー(65歳以上)7300円 他

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