山本理顕の 街は舞台だ「元町」
自分たちの街は自分たちでつくる
元町 (横浜市 中区)
自らの土地を提供し実現した軒下の歩道
1859年の横浜開港以来、外国人相手の商店街として、元町は文明開化と共に発展する。しかし、関東大震災、横浜大空襲、終戦、時代の変化により、何度も衰退の危機を迎え、そのつど住民たちの力で乗り越えてきた。
1955年、元町商店街は、全国初といわれる街づくりのルールを自らの手で作成する。行政主導ではない、住民たち自身による街づくりである。各商店が自らの土地を提供し、自主的に建物の1階部分を道路境界から1・8m後退させたのである。それによって生まれた軒下空間を活かし、雨の日でも楽しく買い物ができる街を生み出した。商店の命である売り場面積を小さくしてまでも歩道を確保したのだ。個々のお店の経済的利益はこの商店街全体にお客さんが来るようにならなければ、そもそも成長を見込めない。便利で美しい街をつくることは個々の商店にとって死活問題なのである。それを元町商店街の人たちはよく理解していたのである。「モトマチ」は明治から続くハイカラでモダンな伝統とイメージを活かし、日本有数のファッション発信地となっていった。
元町に限らず街づくりの主役は、その地域に固有の地域経済を担ってきた住人たちなのである。ところが戦後の行政はそれを全く誤解していた。戦後復興は、戦災で壊滅的な被害を受けた都市の復興だった。そしてその復興されるべき都市は、もともとその地域住人が守ってきた地域経済のためではなくて、グローバルな経済のための都市だった。それぞれの街の個性ではなく、どの街も同じように標準的な都市が目指すべき都市になっていったのである。
元町の成功はそうした標準化に対する抵抗だった。それは住民自らつくったルールによって、自分たちの固有の街をつくるという強い意志だったのである。 (談)
取材協力:「横濱まちづくり倶楽部」理事長 近澤弘明
住所:神奈川県横浜市中区元町1丁目〜5丁目
交通:みなとみらい線「元町・中華街」駅下車 すぐ
JR京浜東北線「石川町」駅下車 徒歩2分
企画・監修:山本理顕(建築家)
1945年生まれ。71年、東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了。東京大学生産技術研究所原研究室生。73年、株式会社山本理顕設計工場を設立。2007年、横浜国立大学大学院教授に就任(〜11年)。17年〜現在、横浜国立大学大学院客員教授。
©Jake Waltersm
「元町商店街(中区)」典拠:写真集『昭和の横浜』(横浜開港資料館蔵)
「元町百段」[彩色写真]明治中期(横浜開港資料館蔵)
「元町商店街(中区)」典拠:写真集『昭和の横浜』
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