愛と哀しみの傑作(マスターピース)「ノートルダム・ド・パリ」
ヴィクトル・ユゴー
「ノートルダム・ド・パリ」
ロマン主義文学を代表する小説「ノートルダム・ド・パリ」には、さまざまな愛のカタチが描かれています。
美しいジプシーの娘エスメラルダは、ハンサムな軍人フェビュスに命がけの愛を捧げます。婚約者もいるフェビュスにとって、エスメラルダとの愛はかりそめのものでした。ノートルダム大聖堂の助祭長フロロは神への誓いを破り、エスメラダに恋し、嫉妬と欲情に狂い、殺人まで犯してしまいます。フロロによって育てられた捨て子の鐘つき男カジモドは、その醜い肉体にエスメラルダへの美しくも清らかな愛を宿すのです。
そんな物語に描かれたさまざまな愛のカタチを一身に背負った女性がいます。名前はアデール・ユゴー。作者ヴィクトル・ユゴーの次女です。彼女が生まれたのは1830年7月28日。ユゴーがちょうど「ノートルダム・ド・パリ」を執筆中の時でした。
1851年、ルイ=ナポレオンがクーデターを起こすと反対派のユゴーは亡命し、1852年に英国ガーンジー島に居を構えます。当時ユゴー家に出入りしていた若き英国士官アルバート・ピンソンにアデールは恋します。彼女は次々と持ち込まれる縁談を断り、ピンソンとの結婚を一途に夢見ます。しかし、彼に結婚の意志はなく、カナダに転属。すると1863年、アデールは彼を追って一人カナダへと海を渡るのです。その後、カナダからピンソンと結婚したというアデールの手紙がユゴーに届きます。しかし、それは叶わぬ愛による狂気が、彼女に書かせた全くの妄想でした。その時すでに彼は別の女性と結婚し、子供までいたのです。
小説「ノートルダム・ド・パリ」ではエスメラルダの処刑から2年後に墓を掘り返すと、女の骸骨を抱きしめる背骨が曲がった男の骸骨が見つかり物語が終わります。
1872年、フランスに戻されたアデールはそのまま精神病院に入れられ、1915年84歳で孤独の内に亡くなりました。
ヴィクトル・ユゴー Victor Hugo(1802-85)
ロマン主義の詩人、小説家。政治家。23歳でレジオン・ドヌール勲章を授与される。葬儀は国葬とされ、棺は一晩凱旋門に安置後、パンテオンに埋葬された。代表作は「エルナニ」、「ノートルダム・ド・パリ」、「レ・ミゼラブル」など。
イラスト:遠藤裕喜奈
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