My Roots My Favorites 橋本雅也 (彫刻家)

鹿の角や骨でつくる草花の彫刻は
言葉をこえて命の流れと向き合う
ある体験が原点

 鹿の角や骨を彫って草花の彫刻をつくるなどしています。今に至る最初の転機は、20代前半で仕事を辞め、アジアやアフリカを旅したことです。社会的な時間から一旦離れ、自然や自分の感覚を主体に考え、行動する中で、こんな経験をしました。

 ヒマラヤのふもとの町、インドのカソールでのことです。河原で見つけた流木を何気なく拾い、紙やすりで磨いてみたら、カサカサした表面が変化していき、内側から本質が表れてくるような感覚に惹かれました。さらにナイフも使い、拾った木や石で髪飾りやペンダントを作り始めます。この経験から、帰国後はそうした装身具作りが生活の基礎になりました。

 そんなある日、丹沢山地を訪ねた時、森でアナグマの真っ白な頭骨に出会いました。美しいと感じて持ち帰ったのですが、アトリエで見るとなぜかその美は感じられなかった。わけを探ろうと対話するように彫ってみたのが、動物の骨や角を彫り始めた最初です。

 ただ、今のような作品に至るのは、さらにいくつかの出来事を経てからでした。まず、あるお寺の住み込み管理人として暮らし始めたことです。ふだんは住職もこない無住寺ゆえ墓守的な役割もあり、一方で四季折々に咲く庭いっぱいの草花の世話も毎日の仕事です。生と死を、より日常的に感じる生活になりました。

 加えて大きかったのは、猟をしている友人に同行し、冬山である鹿の死に立ち会ったことです。角や骨を扱う上で一度は必要と考えたのですが、実際の狩りや解体は想像以上に重い体験でした。一方、その際なぜか一輪の花のイメージが脳裏に浮かんだこと、また凍える体で頂いた鹿肉に、命の流れをかみしめる感覚を得るなどし、しばらく心の整理がつかず悶々とします。

 しかしひと月ほど経ったころ、咲き始めた水仙が目にとまり、あの鹿の角と骨で花々を彫ることで、一歩ふみ出そうと思えました。この経験から、言葉や自我をこえた自然の理(ことわり)を共有できる作品ができたらと考え、制作を続けています。 (聞き手・文:内田伸一)


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インタビュー:神奈川県民ホールギャラリー「5Rooms II けはいの純度」での展示作品について

「木から石をつくる」その真意

―「5Rooms II けはいの純度」展では、手法もテーマも多様な5作家が、会場の5部屋それぞれを活かした展示を行います。橋本さんの「部屋」はどんな場所になりそうですか?

 ふたつの空間を用意するつもりです。ひとつめは、鹿の角や骨を彫った植物の彫刻と、木彫で「石」をつくったものを組み合わせた展示です。植物の彫刻については以前お伝えしたので(ページ上部記事本編参照)、木彫の石についてお話しますね。

 きっかけは、近所の神社の鎮守の森が、やむを得ない事情から伐採されたことでした。僕はそこで一番大きかった老木の切り株を譲り受け、何か作れないかと思ったのです。その森の中で朽ちて倒れかけた老木の前に立った時の記憶を辿ると、薄暗く湿った空気から感じた気配が思い起こされました。それから5、6年ほどして「あ、石かも」と思い、彫りはじめました。

―素材の中にすでにあるものが、かたちを変えて彫り出されることでより強く現れる。橋本さんの彫刻に共通することですね。

 そうして老木からつくった「石」は、最終的に神社に奉納しました。今回はその後につくった木彫の石を出展します。鹿の角や骨による草花と比べると素通りされがちな作品ですが(笑)、たとえば日本庭園では、じつはそうした石が空間を引き締めていることもありますね。今回も草花と石の彫刻が共存する部屋で、そういうことになれば良いかな、と思っています。


粘土がくれた「余白の可能性」

 ふたつめの展示空間では、粘土を使った作品群を展示します。昨年ある展覧会がきっかけで手にした素材が子供用の紙粘土でした。木の葉をモデルにして形を写しとろうとしたのですが、今までの硬質な素材とは全く異なり戸惑いました。ただ、あちらを押せばこちらが出っ張ってしまうフワフワした感じには、言語でいうと「母音だけでしゃべっている」ような面白さがありました。

 土を握りながら形が生まれてくるプロセスや、形が定まる以前のエッジのない形状が想起する記憶や感覚は、身体のより内奥に繋がっているような気がしています。今回は益子の原土を素材に使用して、そうした領域をさらに探ってみたいと考えています。

―硬いものと、柔らかいもの。細密なものと、余白を持つもの。同じ彫刻家による対照的な作品空間として見ることもできそうで、楽しみです。


自他の境を超えて世界とつながる

―最後に、展覧会名にある「けはいの純度」というキーワードについて、ご自身が思うことを教えてください。

 担当学芸員の森谷佳永さんは、以前に僕が参加した展覧会について「通り過ぎようとした空間で、呼び止められた気がして振り返ると橋本さんの作品があった」と話してくれました。そのことが印象に残っています。

 また僕自身は、「人は『見ること』を通じて、そこにあるもの(作品あるいは外界)と自他の境なくつながることができるのか」をずっと考えています。もし作り手の自我のようなものを消すことでそれが起こり得るなら、またそうした広い領域に向かえるなら、自分がものをつくり続ける意味もあるのではと思うのです。


取材・文:内田伸一


橋本雅也 Masaya Hashimoto

1978年 岐阜県生まれ。独学で彫刻を学ぶ。主な個展に「殻のない種」(ロンドンギャラリー/2012年)、「間なるもの」(金沢21世紀美術館デザインギャラリー/2014年)、グループ展に「生きとし生けるもの」(ヴァンジ彫刻庭園美術館/2016年)、「物語る物質」(高松市美術館/2017年)など。


Photo(上から)

  ©矢野津々美

《母音の波形》2018年 土


*12月17日(月)〜2019年1月19日(土)神奈川県民ホールギャラリー「5Rooms II—けはいの純度」展に参加(詳細は特集記事に掲載)

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