知れば、知るほど、好きになる「横浜ジャズ喫茶文化」「サクソフォン(サックス)」

音楽の小箱

横浜ジャズ喫茶文化

大正14年に伊勢佐木町にあった「喜楽座」でジャズが演奏された。不幸な戦争の後、市内は進駐軍に占領され毎夜のごとくジャズが演奏された。そして横濱JAZZプロムナード*は今年26回目を終えた。物事には歴史がある。それを彩ったのは鶴見の花月園舞踏場であり、本牧ちゃぶ屋でありジャズ喫茶だった。日本にしかないジャズ喫茶は昭和4年東大赤門前にできた「ブラックバード」が最初だ。同時期に横浜で「メーゾン・リオ」が開店したと、昭和8年に「ちぐさ」を開いたオヤジ吉田衛の横浜ジャズ物語にある。モノ好きが高じて店主に納まったのだろうけれど、この頃は珈琲を飲ませ音楽を聞かせることで商売になった。音楽、特に洋楽に飢えていた時代だったのだろう。

 戦後の横浜には駐留軍の兵隊、特に黒人兵はジャズが好きで多くのジャズ・クラブができた。もちろん日本人は入れないのだが、ジャズが演奏できるミュージシャンは引っ張りだことなった。たちんぼうといってただ立っているだけでお金になった人もいたくらいだ。幸いなことにこの音楽家たちはアメリカ文化の最前線に触れることができた。ハンバーガー、コーラ、タバコ、チョコレート、口に入るものだけではない、ティッシュ・ペーパーやトイレット・ペーパーまで目を見張るものだったに違いない。そしてジャズ喫茶は仕事あっせんの場ともなり、空いたミュージシャンのたまり場でもあった。

 世の中が落ち着いてきても、我々若い者にとってジャズ喫茶は特別の場だった。レコードが高くめったに買えないので新譜を聴きに行くのだ。やがて「ちぐさ」は勉強の場になり、沢山のレコードに囲まれ真剣に音楽に向かいあった。都内のジャズ喫茶には音量が大きく、紫煙でかすむ不健康な店もあったが、同じように文化を生んでいたように思う。当時流行りのアイヴィー・スタイルや、落語、文学、映画などにも。言いかえればジャズ喫茶そのものがファッションだった時代だ。

文・柴田浩一(横濱JAZZプロムナードディレクター)

*「街全体をステージに」を合言葉に1993年にスタート。日本人ミュージシャンのためのフェスティバルとして開催され、今や東洋一の規模を誇り、内外から出演希望者が絶えない。


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現存する日本最古のジャズ喫茶「ちぐさ」(横浜市中区野毛町)


楽器ミュージアム

サクソフォン(サックス)

クラシック、吹奏楽、ジャズにロックと八面六臂(はちめんろっぴ)に活躍する管楽器のサクソフォン。その誕生は管楽器の改良が進んだ19世紀半ば。パリで楽器製造を営むアドルフ・サックスによって考案されました。

 考案者の名がそのまま名称になったこの楽器は、木管の柔らかな音色と豊かな抑揚、金管の強くストレートな音量を併せ持つ優れ物。クラリネットと同じく1枚リードをマウスピースに付けて息を吹き込む木管の仲間ですが、ボディは金属製で形状もクラリネットのような直管ではなくトランペットなどの金管のように下に向かって広がっています。ボディには、考案当時開発されたてだった音孔を開閉するキーメカニズムを装着。このメカニズム、外見はかなり複雑ですが、とても合理的に作り込まれているため、指使いが簡単で楽に演奏することができます。

 こんな楽器の優等生サックスは、発表後すぐに欧米の吹奏楽団(ブラスバンド)に採用されるなど急速に普及しましたが、ドイツやイタリアなどの作曲家がサックスを採用することは殆どなく、考案者の死後、欧州での関心は下火になってしまいました。しかし、吹奏楽が盛んだったアメリカでの人気は衰えず、ジャズ・バンドにも欠かせない楽器となります。そして1920年代にスウィングジャズ・ブームが欧州に伝わると、クラシックの作曲家たちもサックスを再評価するようになったのでした。

 とはいえ、クラシックとジャズとではサックスの響きはかなり異なります。クラシックではクラリネットのように管の下をあまり広くせず端正な響きが出る型(モデル)を、ジャズでは感情をストレートにぶつけられる幅広のマウスピースの型を選ぶことが多いそうです。そんな型の違いに注目すれば、あなたはもうサックス通です。

アルト・サクソフォン。ボディが長いためにU字に曲げられています。アドルフは音域の異なる14種類ものサックスを考案し、今日、アルト、テナー、バリトン、ソプラノが主に使われています。

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