小池ミモザ(ダンサー)
アーティスト同士がぶつかり合い、刺激を受けるのがコラボレーションの面白さ。
興味深いアーティストの方々とご一緒し、一つのモノを創り上げるのは誇りであり楽しみでもあります。
一柳 慧×白井 晃
神奈川芸術文化財団芸術監督プロジェクト
Memory of Zero メモリー・オブ・ゼロ
神奈川県民ホール
神奈川芸術文化財団の芸術総監督を務める作曲家・ピアニストで2018年秋に文化勲章を受けた一柳慧。KAAT神奈川芸術劇場の芸術監督で演出家・俳優の白井晃。二人が芸術監督プロジェクトとしてタッグを組む第3弾「Memory of Zero」では一柳が音楽を、白井が構成・演出を担い、振付に国内外で活躍する遠藤康行を迎える。
話題沸騰のコラボレーションに出演する小池ミモザは、現代バレエを代表する振付家、ジャン・クリストフ=マイヨー率いるモナコ公国モンテカルロ・バレエ団のプリンシパル(最高位のダンサー)として名匠の創造欲を刺激すると共に自作発表も行う。エッジな感性に今までの軌跡やクリエイターとしての心構え、公演への抱負を聞いた。
自然体で歩んできたプロへの道程
―ダンスの道に進まれたのはどうしてですか?
昔から音楽を聴くのも体を動かすのも好きでした。両親は私が踊りに向いているのではないかと考え、6歳の時バレエスタジオに連れて行ってくれました。最初は遊び半分みたいなところもありましたが、ある日――それがいつかは覚えていないのですが――真剣にやっていかなければいけないことだと自覚しました。
クラスレッスンに真剣に取り組もう、ダンスを学びたいからフランスに行こう、フランス語が必要だから勉強しよう・・・と目の前のことを一つひとつ一生懸命やってきたことが今につながっています。素晴らしいダンサーになりたいとは思っていましたがモンテカルロ・バレエ団のプリンシパルになるというような大きなゴールを目指していた訳ではありませんでした。
—お父様は建築家、お母様は画家だそうですね。
両親は私が生まれる前にヨーロッパ中を旅したのですが、南仏でミモザの花に恋して、一番初めに乗った車にその名を付けたんです。だから私はセカンドハンドなのです(笑)。その後二人は1年ほど南仏で暮らし、絵を描いたり建築学校に通ったりしました。私自身小さい頃から絵があったり、建築の模型があったりするのが当たり前の中で育ったので、芸術の世界に自然と入れました。両親に感謝しています。
―15歳の時、フランス国立リヨン・コンセルヴァトワールに入学されました。
私は背が高いので日本にいてもダンサーになれないと考えていました。リヨンはパリと違って大き過ぎずちょうど良い環境の街です。コンテンポラリーダンスやネオクラシックのレベルが高いと聞いていたので、最初からそこに興味を持っていました。リヨンの学校には音楽部門もあり、毎週のようにコンサートが開かれ、生の音楽に触れる機会もあって良い刺激になりました。リヨンであらゆることを学び、バレエのベースが整いました。
―卒業後2001年にスイスのジュネーブ・バレエに入団し、03年にモナコ公国モンテカルロ・バレエ団に移籍されます。
リヨンにいた時にモナコで世界各地のバレエ団のディレクターが集まるオーディションがあり、そこでジャン・クリストフ=マイヨーに声をかけられました。でも契約の空きがなく。ジュネーブに行きました。ジュネーブで踊ってよかったのは、いろいろなクリエーションを経験させてもらえたことです。1年半後にディレクターが替わり、その時マイヨーのところにちょうど空きがあったので入りました。
マイヨーはいろいろな芸術に興味を持っている素晴らしいディレクターで、なかでもシネマが好きな人です。映画のように自然な会話に見えるように、リアクションのタイミングを気にするんですね。音楽性を大事にしていて、メロディーが体から出てくるかのようにムーブメントを創ります。そこがすごく勉強になっていて、私自身が振付をする時も、一つひとつのジェスチャーが何を語っているのかをはっきりさせるようにしています。
クロスする表現の可能性、新たな観客との出会いを求めて
—渡欧20年になります。長年の海外生活を生き抜いてきた秘訣はありますか?
今になって思うのですが、日本人だからといって日本のすべての人たちと簡単にコミュニケーションが取れるとは限らないじゃないですか? 日本人としての誇りを持っていますが「この人って同じ人種じゃないかな?」と思える人は世界中どこにでもいます。だから外国に行くことはそこまで怖くないと思うんです。
―ご自身でも創作活動をされていますね?
舞台には生きる中で経験をしたさまざまなことが反映されるのでチャンスがあれば振付をやりたいと願っていました。きっかけはバレエ団のツアーでいろいろな国に行く時に写真を撮るだけでは物足りなくビデオを持っていったことでした。面白い場所、たとえばエレベーターの中とか駐車場の屋上とかで即興で踊り収録しています。場所が違うと出てくる動きが変わってくるので、それをどう表現し、どう面白くできるかを常に考えています。ここ2年くらいはシャガール美術館で作品を創ってパフォーマンスをしており、マティス美術館にも頼まれました。美術とダンスをミックスさせ、新しい観客にライブの舞台を見てもらいたい。今はインターネット等で何でも見ることができますがライブならではのエネルギーに触れてほしいのです。
―2010年よりモナコ公国の芸術研究機関 Le Logoscope(ロゴスコープ)の舞台芸術部門のディレクションを行い、16年にはヴァイスプレジデントになられました。
ある時、どうしてモナコにバレエ・リュス*がいたのだろうかと思ったんです。バレエ・リュスにはコクトーやシャガール、ピカソ、シャネル、ストラヴィンスキーが関わりモナコで創作していました。モナコは東京やパリと違い若い子にとって刺激が少ないかもしれませんが自然がいっぱいあります。私はカジノには興味がありませんし(笑)、何か自分たちで面白いことをしたいという気持ちが湧いてLe Logoscopeに入りました。そこには美術や音楽、映像を仕事にしている人がいて、自分たちのできることをクロスしてプロジェクトを行います。バレエ・リュスがやっていたことをつなげているんですね。アイデアをぶつけあい、何かを創ることで、自分一人では行けないところへ行ける。それって、すごく大変だけれど価値があると思います。いろいろな人に刺激をもらえるのが好きなんです。
いろいろなイメージに柔軟に順応し、自在に変化していきたい
―「Memory of Zero」の振付を担当する遠藤康行さんとはモナコで立ち上げた JAPON dance projectのメインメンバー同士で協同作業が続きます。
遠藤さんとの初仕事は神奈川県民ホールでも上演した「オールニッポンバレエガラ2012」で遠藤さん振付の『3 in Passacaglia』に出演した時です。遠藤さん、柳本雅寛さんと踊り、一緒に創った感じがありました。遠藤さんがやりたいイメージを私なりのやり方でみせると「それ!」となるんです。マイヨーとのクリエーションも同じようなところがあって、彼の頭の中が見えてくるので先回りして踊ってみせると「それだ」という反応が返ってきます。そのやりとりが楽しい。遠藤さんたちと5人のメンバーで結成したJAPON dance projectでは、5人のアーティストが一つのモノを創り、ぶつかり合い、刺激をもらっています。
―「Memory of Zero」はⅠ「身体の記憶」、Ⅱ 「最後の物たちの国で」から成ります。どのように関わられるのですか?
現時点(2018年10月末)で「最後の物たちの国で」の主役のアンナを踊ることが決まっています。一柳さん、白井さん、遠藤さんとご一緒できる面白そうなプロジェクトなので絶対にやりたいと願いました。テキストをいただいているので、それをどのように舞台にしていくのだろうかとイメージを膨らませ、自分の中で”額縁“のようなものを作っています。いろいろなイメージにアダプトできるようにしておくためには柔らかな額縁が理想です。今はそれを作っておいて、いろいろな色や形に変化できればいいなと考えています。
―公演に向けての抱負をお聞かせください。
興味深いアーティストたちが集結して一つのモノを創るプロセスに参加できることが誇りなので精一杯表現したいと思っています。皆のいろいろな色や形を合わせながら一つのモノを創ることができ、お客さまに見ていただけるのが楽しみです。
*バレエ・リュス:セルゲイ・ディアギレフが1909年に創設した伝説的なロシア・バレエ団で、優れた舞踊家のほか、画家、作曲家、詩人らが関わりバレエを総合芸術として革新した。
my hall myself
私にとっての神奈川県民ホール
2015年と18年の夏、「横浜バレエフェスティバル」に呼んでいただき普段会えないダンサー仲間たちと再会し、中華街で中華を食べたりした楽しい思い出があります。今回の公演チラシの撮影で普段入れないようなホールの地下や裏も見せていただきましたが、働いている皆さんの感じもよく、自分の家にいるような親近感を抱いています。「ここでまた仕事がしたい!」と思わせるエネルギーを持つ劇場です。春の時期に来たことがないので楽しみです。
取材・文:高橋森彦
小池ミモザ Mimoza Koike
フランス国立リヨン・コンセルヴァトワールを首席卒業。2001年スイスのジュネーブ・バレエ入団。03年モナコ公国モンテカルロ・バレエ団に移籍し、05年最年少でソリスト、10年プリンシパルに昇格。10年より芸術研究機関Le Logoscopeで舞台芸術部門のディレクションを務め、16年ヴァイスプレジデントに昇格。15年モナコ公国より日本人ダンサー初シュバリエ文化功労勲章を受賞。JAPON dance projectメインメンバー。
Memory of Zero メモリー・オブ・ゼロ
2019年3月9日(土) 18:00 ・10日(日) 15:00 神奈川県民ホール 〈大ホール〉
Ⅰ 身体の記憶 Memory of Body
Ⅱ 最後の物たちの国で In the Country of Last Things
原作:ポール・オースター 訳:柴田元幸
[演奏楽曲]一柳 慧:交響曲第8番 リヴェレーション2011 他
音楽:一柳 慧 構成・演出:白井 晃 振付:遠藤康行 指揮:板倉康明
ダンス:小池ミモザ 鳥居かほり 高岸直樹 引間文佳 遠藤康行 他
演奏:東京シンフォニエッタ
全席自由(整理番号付・特設席) 一般6500円 学生(24歳以下・枚数限定)3000円
◎両日ともアフタートークを予定
※本公演では、舞台上の特設席を使用いたします。当日はチケットに記載の番号順にご入場いただきます。詳しくはホームページ等で発表いたします。
Photo(全て)
ⓒ平岩亨
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