My Roots My Favorites 井関佐和子(舞踊家・Noism副芸術監督)
人生の中でどれだけ真の「尊敬」と「愛」を 捧げられる人に出会えるか。
舞踊家の私の原点は、四つの出会いです。最初は小学生の時に教わった振付家、望月紀彦 さん 。踊ることの本質を丁寧に教えてくださいました。自分の内にある感情をどのように外の世界に繋げていくか...。今の私が「演じる」ことができるのは、この方のおかげです。
次にシルヴィ・ギエム。小さな頃からビデオを擦り切れるほど見ていました。彼女の踊りと言動に、プロ 意識、舞台に立つ覚悟を感じ、「舞踊家としての在り方」に惹かれました。今、私が舞踊家として、時代性 や舞踊家の立ち位置を考え、常に意識を高く持ち、決 して諦めずに進むことができるのは、彼女のように、「恵まれた身体」だけではなく「考える力」を持った、尊敬できる女性がいたからです。
そしてNDTII時代に振付に来たヤコポ・ゴダーニ (フォーサイスカンパニー次期芸術監督)。最初は、彼の作品を踊ることが嫌で、人としても押しつける感じが本当に嫌いでした。彼の作品は私の見たことのない動きで埋め尽くされていました。「身体を極限まで使うんだ! 全てを意識して! もっともっと追求しろ! 平面で動くな!」と怒鳴られていました。でも、いつの間にか彼のエネルギーに同調し、コンプレックスだらけだった私の身体の可能性が、未知数に広がっていった。あの感覚は絶対に忘れません。
最後にNoism芸術監督、金森穣。私の舞踊家人生の半生はこの人ありきです。ルードラ時代からその 名前は聞いていて、実際に出会ったのは21歳。初めて生で作品を見た時、「私はこの人の世界で踊る。踊り続けていくだろう」と思いました。それはあの振りがいいとか、世界観が素晴らしいという「理屈」ではなく、まさに「衝動」でした。人は人生の中でどれだけ真の「尊敬」と「愛」を捧げられる人に出会えるでしょう。金森穣、この振付家、演出家、舞踊家、人に出会えたことが、私の舞踊家としての、人としての生き方の全てです。 (談)
井関佐和子 Sawako Iseki
3歳よりクラシックバレエを始める。16歳で渡欧。ルードラ・ベジャー ル・ローザンヌにてモーリス・ベジャールらに師事。NDTII(ネザーラ ンド・ダンス・シアター)、クルベルグ・バレエで20世紀を代表する振付家たちの作品を踊る。2004年日本初の劇場専属舞踊団Noismの結成メンバーとなり、金森穣作品では常に主要なパートを務め、日本を代表する舞踊家の一人として、高い評価と注目を集めている。
Photo ©篠山紀信
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