愛と哀しみの傑作(マスターピース)ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 「恋人に寄す WoO 140」

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

「恋人に寄す WoO 140」

 1827年3月26日、ベートーヴェンはウィーンで亡くなりました。葬儀後、友人たちは遺品の整理を行います。その時、秘密の小箱に大切にしまわれた3通の手紙を発見し、驚愕します。それらは手紙の相手に「わが天使」「わが全て」「わが不滅の恋人」と呼びかける熱烈なラヴレターだったのです。

 その「不滅の恋人」は、イニシャルだけしか記されておらず、誰あてに書かれたのか不明でした。最近の研究で、「不滅の恋人」はアントーニア・ブレンターノという女性が有力視されているようです。

 1798年、18歳のオーストリア貴族の令嬢アントーニア・ビルケンシュトックは、イタリア系の富豪フランツ・ブレンターノと結婚します。しかし、嫁ぎ先のフランクフルトでの商家の生活になじめず、やがて重度の心身症を患うのです。1809年、彼女は父の看病を理由にウィーンに戻り、父の死後も遺産の整理を口実にウィーンにとどまり続けます。この間にベートーヴェンと知りあったのです。病に臥すアントーニアをしばしば見舞いに訪れたベートーヴェンは、隣室でピアノを弾いて彼女を慰めたといいます。

 1811年の「恋人に寄す WoO140」は、アントーニアのために作曲されたもの。この曲の第一稿はギターまたはピアノ伴奏とされていますが、アントーニアはギターをたしなむ女性でした。さらに、この曲の自筆譜にはアントーニアの筆跡で「わたしのお願いで作者から」との書き込みがあります。

 しかし、なぜ二人は結ばれなかったのでしょうか。不滅の恋人の手紙が書かれたちょうどその頃、アントーニアは殆ど別居同然であった夫フランツの子を妊娠したのです。これを機に夫は妻との関係を修復しようと努め、夫人も生まれてくる子どもを想いベートーヴェンから去っていきます。

 「不滅の恋人」の手紙から11年後、ベートーヴェンは晩年の傑作である「ディアベルリ変奏曲」をアントーニアに捧げています。とはいえ、「不滅の恋人」は誰なのか、真実は今も闇の中です。


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven(1770〜1827)

ドイツの作曲家。楽聖と呼ばれる。音楽家を職人・貴族の奉公人から芸術家に変えた人物。自ら「貴族はいくらでもいるが、ベートーヴェンはひとりしかいない」と言った。代表作は交響曲第5番「運命」、交響曲第9番、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ピアノ・ソナタ「月光」など多数。


イラスト:遠藤裕喜奈

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