三ツ橋敬子(指揮者)
音楽で命は救えないかもしれないけれど、
人と人とをつなげる力があるんじゃないか。その力にかけたいと思ったのが、
音楽家になりたいと思った瞬間なんです。
三ツ橋敬子の「新☆夏休みオーケストラ」
中学生で経験した衝撃
―指揮者を目指したきっかけとは。
物心がつく前から、音楽というか音に興味を示していたようです。友だちが音楽教室に行き始めることになって、「あ、私も」と思って、教室に通わせてもらい、ピアノをメインに、ソルフェージュや作曲など総合的に学びました。
実際のところ、音楽家になろうとはまったく思っていませんでした。中学生の頃は、法律の勉強をしたいと思っていたんです。でも、音楽教室には通い続けていて、3年生の時に教室の演奏旅行でイスラエルに行くことになりました。
私にとって初めての海外でした。当時、ノーベル平和賞を受賞したイツハク・ラビン氏が首相で、官邸を訪問したんです。昼食会の後、ラビン首相がピアノで音を四つお弾きになった。これをテーマに即興演奏をしてみましょうと言われて、私が演奏することになりました。首相はとても喜んでくださり、夫人も愛情を込めて抱きしめてくださいました。言葉が通じなくても、音楽が人をつなげることができるんだと、実感しました。
ところが、最後にお目にかかった4日後、首相は反和平派によって暗殺されてしまったんです。これほど平和に尽くされた方が一瞬にして命を散らしてしまう。法律を勉強して、世の中のために役立ちたいという私の思いは、無力感に変わってしまいました。でも、音楽で心が通い合ったことから、音楽で命は救えないかもしれないけれど、人と人とをつなげる力があるんじゃないか。その力にかけたい、と思いました。音楽家になりたいと思った瞬間でした。
その頃は、中学校の合唱コンクールで指揮をしたり、指揮者の伝記を読んだり、指揮のビデオを観たりと、指揮者という職業が自分の中で膨らんでいた時期でもあって、指揮者を目指すことになりました。
血の通った音楽を作りたい
―東京藝術大学と大学院で学ばれた後、ヨーロッパに留学されました。
クラシック音楽では、ドイツ=オーストリア圏とイタリア圏の音楽が二つの大事な柱だと思います。イタリアにはいつかは行きたいという思いはありましたが、ドイツ語圏の音楽の大切さが身に染みていたので、まずは、あれだけ多くの音楽家が憧れて、音楽が大きく発展したウィーンという街に行くことにしたんです。
本当に良かったと思うのは、学校での勉強はもちろんですが、ベートーヴェンが「第九」を完成した家とか、ここでシューベルトが生涯を終えたといった場所が街中にあって、大作曲家たちの息吹を身近に感じられたことでした。
今でも私は、作曲家がどういう空気を吸って、どういう生活をしていたかを大切にしています。ウィーンは冬から春になる時にこんなに喜ばしいんだとか、そういうことを感じることが、血の通った体温のある、色のある音楽を作っていく上で、とても大切なことだと思っています。
ウィーンの後、やっぱりアルプスを越えたくなって(笑)、イタリアにも留学しました。
―現在のお住まいはヴェネツィアです。
以前から、西洋音楽をやる上で、西洋の視点を忘れないようにあちらに拠点を置こうと思っていました。ヴェネツィアは、いまだに車は走れなくて、歩くか船しかないんです。昔からずっとその生活を続けている。そういう歴史的なところにウィーンと通じるものを感じます。
―三ツ橋さんにとって、音楽とは。
仕事をしていく中で、だんだん自分と音楽が同化していく感覚があって、「音楽」は実体のあるなにかというより自分と一つになっているような気がします。音楽を通じて、次々に新しい出会いや、まったく違う分野のことを知る機会があったりして、常に新しい視点に立つことを迫られます。でもそれがかえって自分を成長させてくれる。音楽があって、ほんとうに良かったと思っています。
―理想とする指揮者像とは。
常に思っていることは、聴いてくださるお客さまがまったく知らない初演の曲であっても、何回も聴いたことがあるベートーヴェンの「運命」でも、その演奏を聴いて「ああ、良い曲だ」と思っていただけばということです。「良い演奏だった」じゃなくて「良い曲だった」と思ってもらえるような指揮者になりたいと思っています。
小澤征爾先生から学んだこと
―指揮の小澤征爾さんの音楽塾で、アシスタントをなさったそうですね。
音楽塾で若い音楽家と小澤先生とのやり取りにずっと立ち会っていると、世界の第一線で活躍されている方の音楽に対する姿勢―何を考えて、どういうふうにリハーサルに、本番に持っていくのか―が、ひしひしと伝わってくるんです。
小澤先生は、常に「勉強しなきゃいけない」と話されていました。こんな第一線で活躍する方が、毎日のように勉強を、とおっしゃることに驚きを覚えました。アシスタントをする6年ぐらい前に小澤先生からレッスンを受けていた時分にはまったく見えていなかったのですが、コンクールを受けたり、仕事をいただくようになっていた頃でもあり、指揮者として生きていくために必要なものをまざまざと見せつけられた思いがしました。
子どもたちとは真っ向勝負で
―8月には、神奈川県立音楽堂で子どもたちに向けた「新☆夏休みオーケストラ」が開かれます。
子どもたちって、ものすごく正直じゃないですか。その空気感って、とてもダイレクトに伝わってくるんです。
このようなコンサートはこれまでにも経験していますが、良い時は客席の熱量がすごく上がるし、その反対に冷めてしまうのも早いんです。私たち演奏する側が、真っ向勝負で真剣にやっていかないと、彼らは敏感だから、すぐに感じとってしまうんですね。
―今回のプログラムに込める想いとは。
コンサートでは、名曲を脈絡なく聴いてくださいというのではなく、いろいろな時代や国の音楽を選曲して聴いていただこうと思います。その中で今の子どもたちの気持ちと曲とが結び付くようなことも考えたいと思っています。
ヨーロッパの演奏会に行って印象的なのは、皆さんがとてもリラックスして音楽を楽しんでいることです。小中学生の皆さんにもぜひ、そういう経験をして、音楽を味わってもらえたらと思います。舞台と聴衆とが一緒になって会場の空気を作っていけるように、演奏に合わせて手拍子をしたり、「夏休みオーケストラ」の名物でもありますが、子どもたちに舞台に上がってもらって音楽を間近で感じてもらったり、また、一緒にいらしてくださる保護者の皆さんにもオーケストラ・サウンドの魅力を全身で感じていただけるようにとか、いくつかのコンセプトに沿ってコーナーを作っていこうと考えています。
鑑賞ではなく、楽しんでほしい
―コンサート前には、4日間に渡って、バックステージ・ツアーや公開リハーサル、ワークショップ、スタッフ養成講座、指揮者との対話の広場など、さまざまな企画も用意されているそうですね。
子どもに何を見せたいとか、何をやらせたいとかよりも、彼らの気持ちを大切にしたいと思っています。子どもたちは、自分自身でいろんな興味を持っているんですよね。ですから、保護者の方たちも、かしこまってお勉強の一環として音楽鑑賞に連れて行くというのではなくて、自分たちも楽しむつもりで、お子さんたちと一緒に来ていただきたいです。
音楽を身体で感じて、楽しいと思う。そういう経験は、ずっと心に残っていくものだと思います。子どもたちと演奏者が同じ空気の中で一緒になって、音楽を楽しんで過ごしたいと思います。
これから5年にわたるシリーズですので、回を重ねていくごとに、子どもたちや保護者の方たちの考えをどんどん反映していければとも、思っています。
my hall myself
私にとっての神奈川県立音楽堂
ホワイエからホールの中に入った時、木に囲まれている、とても独特の癒される感じがあるんですね。その中で、音を聴くと、「なんていい音、なんて心地良いんだろう」って。
ほんとうに、音の一つひとつがホールの中に生きている感じがして、素敵だなあと思います。「東洋一」といわれるほどの、美しい音響のホールの中で、響きに包まれる幸福感を心ゆくまで体感できる。素晴らしいホールだと思います。
このホールで、夏休みに、子どもたちと一緒に楽しい企画ができることを、とてもうれしく思っています。
取材・文:川西真理 / 撮影:末武和人
三ツ橋敬子 Keiko Mitsuhashi
東京藝術大学および同大学院修了。ウィーン国立音楽大学とキジアーナ音楽院に留学。第10回A.ペドロッティ国際指揮者コンクールにて日本人として初めて優勝。第9回A.トスカニーニ国際指揮者コンクールにて女性初の受賞者として準優勝。あわせて聴衆賞も獲得。第12回齋藤秀雄メモリアル基金賞を受賞。2015年1月、大阪交響楽団にて「カヴァッリーニ:ティンパニ協奏曲(世界初演)」、同年9月に群馬交響楽団創立70周年記念オペラ「蝶々夫人」、16年1月に三枝成彰作オペラ「Jr.バタフライ」を手掛け、好評を博した。
三ツ橋敬子の「新☆夏休みオーケストラ!」 みんなでワクワク!編
2016年8月13日(土) 15:00 神奈川県立音楽堂
出演:三ツ橋敬子(指揮)、横坂 源(チェロ)、神奈川フィルハーモニー管弦楽団
ホルスト:組曲「惑星」より木星
サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番より
ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1919年版) より 他
◎人気企画「指揮者体験コーナー」「ステージ上で聴いてみようコーナー」「楽器体験コーナー」
「終演後の交流会」などは今年も開催
◎8月10日(水)~13日(土)毎年好評の関連企画も開催!参加無料!
「バックステージ・ツアー&ミニ・コンサート」「音楽作りワークショップ」「ジュニア・スタッフ養成講座」など
小学生1000円 中高生1500円 一般3500円 ◎チケットかながわの他にぴあ、イープラスでも販売
※未就学児入場不可
※託児:株式会社マザーズ 0120-788-222(平日10:00~12:00、13:00~17:00) 公演1週間前までに要事前予約 託児料2000円
音楽堂夏休みオーケストラ!の魅力(マエストロ聖響版 2013年)
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